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【世界の何だコレミステリー】では、北海道富良野市の歴史が取り上げられるそうだ。沢山のラベンダー畑は消えかけていた時代があったらしいのです。
消えかけたラベンダー畑(北海道富良野)に関する
- 理由はなぜ?
- 奇跡はファーム富田のカレンダー!
1. 消えかけたラベンダー畑(北海道富良野)の理由はなぜ?
【世界の何だコレミステリー】では、北海道富良野市の歴史が取り上げられるそうだ。沢山のラベンダー畑は消えかけていた時代があったらしいのです。
そもそも富良野でラベンダーは、なぜ栽培されていたのでしょうか?
その理由としては、ラベンダーが香料の材料だったからなんですよね。
ところが、1972年(昭和47年)頃から、ラベンダー農家が激減していったのです…。必然的にラベンダー畑が消えていったのです。
ラベンダー畑が消えていった理由は、安価な輸入香料が日本に沢山入ってきたことや、合成香料の技術的進歩があったためらしい…。
1970年(昭和45年)の北海道におけるラベンダー農家は合計すると、栽培面積が約235ヘクタール。しかし、1975年(昭和50年)までの5年間で栽培面積も65ヘクタールまで激減したらしい…。
【世界の何だコレミステリー】では、宮城県石巻市の山の中にある謎の建物が取り上げられた。この建物は誰が、どんな理由があって作ったのでしょうか?

2. 消えかけたラベンダー畑(北海道富良野)の奇跡はファーム富田のカレンダー!
ラベンダー畑が消えてしまう危機に直面した富良野で、「ファーム富田」が何とかラベンダーを守ろうとしたそうだ。
結論から言えば、1976年(昭和51年))に国鉄のカレンダーでラベンダーが紹介され、全国的に有名となったことで危機が回避されたそうだ。
「ファーム富田」の富田忠雄さんはラベンダーを栽培し続けるために、一時期は稲作で生計を立てていたそうだ。
そんな富田さんはラベンダーの復活のために、観光資源としての可能性を模索したみたいですよ。
上画像の1976年(昭和51年)の国鉄のカレンダーでラベンダー畑が紹介されて、観光客が一気に増えたそうだ。上の画像は1972年7月に上富良野町江花で撮影されたものらしい…。
恐らく、「ファーム富田」の富田忠雄さんは富良野のラベンダー畑の知名度を上げようと色々していたのでしょう。
しかし、富田忠雄さんと国鉄の直接的な交渉に関する情報は確認できません。
カレンダーの写真の選定は、東京の四谷にあったカラー写真現像所「ボン・カラー」が担当していたそうだ。
富田忠雄さんとラベンダーの物語は上画像の書籍で詳しく理解できると思います。
【世界の何だコレミステリー】では、長崎県の無人島に眠る奇妙な形の巨大建造物について取り上げられるそうだ。

まとめ
この記事では【世界の何だコレミステリー】で取り上げられる消えかけたラベンダー畑(北海道富良野)に関する
- 理由はなぜ?
- 奇跡はファーム富田のカレンダー!
についてご紹介いたしました。
富良野のラベンダー畑を復活させた人は富田忠雄さんだそうですよ。
次回の記事もお楽しみに!